Datuk Jimmy Choo ダイアナ妃のデザイナー vol1
2014年6月26日
「ジミーと呼んで」と言っていただいたので、僭越ながらそう呼ばせて戴きますが
正確に言うとDatuk Jimmy chooなのです
Datukは日本語でダトーと
発音し、爵位のような称号です。
つまり英国で言う「サー」「ナイト」と同じ。
2003年にはファッション業界及びシューズデザインへの貢献が讃えられ、英国の
「大英帝国勲章(MBE)」も受勲されているので
マレーシアでもロンドンでもまさにDatukなのです
現在ではマレーシアの観光大使も務めていらっしゃいます。
ロンドンから帰国された翌朝にお目にかかりましたが
シャープで精悍な顔つきとは裏腹に、穏やかな眼差しには
疲れも見えず、無造作な雰囲気には、やはり大物特有の余裕が感じられます
チャリティへの姿勢も、明確です
東日本大震災の原発事故の影響で、いまもなお苦闘を続ける
福島県の伝統工芸産業に携わる職人達への後押しをすべく
「福島から世界へ、Creativity Though Skills~」のテーマのもと
福島の伝統工芸を世界に発信すべく、ジミーさんは日本で特別講演会を開き、
同時に会津木綿、会津漆器、川俣シルクなど
福島の伝統工芸品を利用して作った6足の靴が発表され、福島の各種団体や
東京ガールズコレクションのブースで発表されたことに
まず御礼を述べてからインタビューに入りました。
以下Q&A
Q 1986年にクチュールレーベルを立ち上げ、1988年にはVOGUE誌に
ジミー・チュウの特集が組まれるなど、順調なスタートだったと思いますが、
予想されていましたか?
A 最初はロンドンのイーストエンドの小さなワークショップで働いていました。
スタートしたのは、1986年の春夏コレクションから。
ロンドンファッションウィークに2ダース、24足の靴を展示しました。
そこで英国VOGUEのファッションディレクター サラ・チェン・フォーに
注目され、英国VOGUE誌の特集へと繋がって行きました。
具体的には、自分のコレクションはコラボレーションでスタートしています。
ポール・スミス、ジャスパー・コンラン、ヘルムート・ラングなど。
凄く刺激になり、勉強に次ぐ勉強でした。
Q 靴のデザイナーを目指したきっかけは?
A ペナン出身ですが、父親が靴職人だったので小さい頃から、
父親の仕事にとても興味がありました。
マレーシアは世界的な靴の産地として歴史があります。
マレーシアの職人は技術が高く、最初から最後の仕上げまで一貫して
作る事が出来る。
最初に靴を作ったのは11歳の時、見よう見まねで一人で作り上げました。
デザインだけではなく、実際作れるように
職人としても技術を習得し、デザイナーの道に進みました
Q 努力と天賦の才能が結びき、現在の成功が導き出されたと思いますが
非常に苦労した、また悩まれたことなどありますか?
A ビジネス面では、ロンドンで仕事を始めたとき、言葉の違う国で、
縁故や人とのネットワークがないところからスタートしたので
苦労しました。
創造面では、自分のシェイプを見つけ出すのに腐心しました。
特にヒールの美しさ!
「ジミーチュウヒール」を見つけ出したときの嬉しさは忘れられません
2014SS プレタポルテライン
ジミーチュウのスピリッツを継承しているライン
Q 現在もロンドンのクチュールハウスで、カスタムメイドの靴を作られて
いますがデザインするに当たって、もっとも意識していらっしゃるのは?
A ファッショナブルでコンフォタブルであること。
なによりもエレガンスが重要です
Q そのエレガンスに惹かれた女性がダイアナ元妃だったのですね!
A ダイアナ元妃は、常に弱者の味方でした。
ブリティッシュ・ファッション・カウンシルを応援し、
メトロポリタンでパーティを主催されたりしていました。
まだ成功途上にある若い英国のデザイナー達を応援し、
その人達の服を好んで身に付けていたのです。
彼等のブティックにおいてあるコラボレーションした
私の靴を見て興味を持っていただき
そして英国VOGUE誌の特集を見て、気にいられて
1990年にケンジントンパレスに直接呼ばれました。
初回にも関わらず、なんと6足も注文していただきました。
Q 亡くなるまでの7年間Jimmy chooさんの靴を愛用されていたのですね
A 実はあの悲劇が起きる翌日に伺って届ける予定の靴があったのです。
これが、渡せなかった靴、私の手元にいてあります。
(と、携帯に入っている写真を見せて頂きました。シンプルなベージュの
ゴブラン織りでできた中ヒールシューズ。凄く上品!)
公式行事や外遊(なんと来日したときもジミーさんの靴だったそう!)
日常生活まで愛用して頂きました。
エレガンスとコンフォートとのバランスの取れた高い品質を
気にいって下さったのでしょう。
良くケンジントンパレスまで伺いました。
お茶とクッキーを出して頂き、素材や色サンプルなどを見ていただきながら
まるで気のあった友人のように、喋ることができました。
偉ぶるところがなく、本当に親切でノーマルな神経の方でした。
ハリー王子がまだ小さくて可愛かった!
付き添い無しで、商品を持ってカーパークまで来てくれたり
とても親しみやすい方でした。
Q ハイソサエティの女性達を中心にJimmyさんの靴は人気に火がついて行きましたね
A ハーパースやVOGUEに取り上げられて以来、ヨーロッパの貴族や王族
から注文が入るようになりました。
ギリシア王妃やヨルダンのラニア王妃など、多くのプリンセスの靴を作っています。
Q 靴はフェティシズムの対象でありながら、実用性、機能性を求められる
ファッションアイテムの中でも特殊な存在。
このバランスはどう捕らえられていますか?
A 靴はアクセサリーだよ!80年代以降セクシーさがもてはやされ、
特に90年代以降はドラマ「セックス&ザ・シティ」が大流行したから、
靴はセクシーさや自己表現のためのアイテムになったけどね。
私は靴の正統な美しさ、伝統は決して捨てない!
これは僕のステートメントだ。レディの足元は靴で表現される。
僕は靴を見ればその人が素敵な人かどうかすぐわかるよ。
(ちなみにドラマ「SATC」では、靴フェチの主人公のキャリーが
『私のCHOOが無 くなったと大騒ぎするシーンがでてくる。)
Q 創造するに当たって、具体的なミューズはいらっしゃいますか?
A 特定の人はいません
考えるのはいつもエレガンス&フェミニン
トレンドではなく、あくまでもエレガンス。決して廃れません
マドンナや数多くのプリンセス達の注文には、
その人らしさを表現するようにしています。
そういえば、映画「タイタニック」に登場したグリーンの靴は
僕がデザインしたよ。
などなどジミーさんのお話は、まだまだ続きます
次回は、現在力を入れている若い世代の教育や
あの話題の息子さんDanny Chooさんのお話、ご家族のお話なども伺います
聞いていてとっても面白かったです
是非楽しみにお待ち下さいね